わたしがインターネットを好きだった理由(わけ)

今の時刻は12時半。遅めの朝食というかまあ昼食をとっている。

久々に淹れたパックタイプの煎茶と冷凍して放置していたごはんと、昨日買った4個で99円のヨーグルト。これだけ見ると質素に見えるから仙台の食べる牛タンラー油を足してグレードアップ。幸せなひとときだった。

まだ煎茶を飲み干していないのと、今日で6月も終わるということでブログを書いている。

正直デジタルデトックス中にブログをひとつでも更新しているような気だった。

はてなでしてないならあめーばかな?と思ったけどメモ帳に書き留めていたものをそのままコピペしただけの更新したとは言い難いものだった。

前回の記事を書いているときは自分がデジタルデトックスを本気でおこなおうとしてると思わなかっただろう。

 

アプリを消して1週間、そして復活して一週間、そしてまた消してのサイクル2週目に入っている。

 

今思っていることはもうSNSはいいかな

ということ。次の記事では気が変わってるかもしれないが、今は本当にそう思っているので今思ったことを書いている。

自分のしたいように生活してそれを呼吸するかの如く投稿するという行為。

そしていいねが何件ついただの閲覧数がどうだの気にする。

それが今思えばなんでそんなこと気にしていたんだろうと思う。

自分だけよければいいし発信する必要もなく、

ただ顕示欲が強かっただけなのかと思い知らされたまでだ。

それと同時に、ああ年数を重ねてSNSは変わったなあと感じた。

 

中高生のころ、リアルの人と関わるよりネットの人と関わるほうが楽しかったし

自分が自分でいられる気がした。

それは同じベクトルの人が集い、仲良くなりたい人は積極的に絡んで、

そうでない人は関わらないをはっきりできる点。そして、確実に自分の投稿が

「見られている」と強く感じていたから、

遠くにいるはずなのにそれを感じさせない何かがそこにはあって、

自分はそれが居心地がよくて大好きだったから。

 

今振り返ると今はその何かが薄れてしまったと同時に

自分を大きく見せていかないと消えてしまいそうな環境になっていると感じた。

ただ自分はこうで自分!!!自分は!!しゅごいでしょ!!!ねえ!だから誰か近くに来て!!

ってなっている気がしている。

確実に中高生時代と比べるとそれはなかったし

ああ、あの頃っていい時代だったんだなと本当に思えるから。

その何がが廃れてしまったのはスマートフォンの普及率が上がったことと、

4Gの登場があったからだと思う。

その分よかった点もある、リアルタイムで自分を見せている人たちが増えに増えまくり、あの人なうで今何してるのかなー?ってすぐ確認出来てしまう。

こんなにリアルと寄り添っているはずなのに、何かがどんどん消え薄れていき、

目の前に人がいるのに画面上にばかり気を取られて人におかまいなしで

盗撮を投稿したりする。どんどん生きづらくなってきている。

人によると思うが、それに対して人の投稿にケチをつけたりあざ笑う人が

ある一定数いて、それが侵食してしまうような感覚になる。

 

だからわたしはSNSをやめた。

そしたらあんなに大きく悩んでいたのがあほみたいに楽になった。

自分が今何しようが別に他人からみれば実にどうでもよく

他人が自慢してようが自分には実にどうでもいい現実があると気づいて

ああ、無駄な時間の消費だったなと感じる。

もっとヒトとヒトが密接していた時代が好きだったんだなって思うから。

インターネット最高、やめられない、一生ついていくってよくいっていたものだが

形が変わってしまったものには興味がない。だから私は好き「だった」という過去形になっていたのである。

 

みくしーやヤフー、アメブロの共通点は何かがはっきり存在していたことが大きい。

言葉では表現しづらいがそこには確実にあって、我々と歩みよっていたから。

 

だから私はSNSをやめた。ならブログは更新するなよって言われるかもしれない。

笑っちゃうかもしれないが、ブログだけは昔からSNSとは別のベクトルをずっと、

1人で走っている。形を変えることなく存在しているから私はブログが好きである。

 

こうやってたまに、もしくは頻繁に顔をだして自分の思ったことを書き留める時間が好きだ。この気持ちはいつまでも忘れたくない。本当にそう思っている。

紙で書くのも好きだ。だけどこうやってパソコンをパチパチするのも大好きなのだ。この気持ち、大切にしたい。